前編はこちら。
佐藤涼子さん(鶴岡スペースステーション主宰)のお話
◎プロフィール
東京都出身。夫が鶴岡市出身だったことがご縁で、2016年に鶴岡市へ移住。2013年~16年まで国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」の実験運用管制官だった経験を活かし、庄内で宇宙を身近に感じて楽しんでもらえるような講演やワークショップを実施している。
―管制官とはどんな仕事ですか?
地球の周りを一周90分で回っている国際宇宙ステーションというのがあって、そこの「きぼう」を地上から動かす仕事をしていました。元ZOZOの前澤さんが宇宙旅行で行ったところですね。とはいえ私はJAXAの職員じゃないんですよ。JAXAにはロケットは三菱、はやぶさはNECみたいな感じで民間がたくさん入っていて、私は宇宙ステーションの運用会社で働いていました。
最初のキッカケは中学校2年の時。地学で気象を学んで、そこで空に興味を持ちました。空を眺めてたら、「その先はどうなってるんだろう…?」って思って、そこから物理を勉強するようになりました。
―どうして鶴岡へ移住したのですか?
キッカケは東日本大震災でした。その頃は人の『負のオーラ』が漂っていて、「東京でもこんなことが起こったら生きていけないな。」って。そこで都会が選択肢になくなって、田舎に住みたいと思うようになりました。それと、宇宙ステーションの仕事はこっちが夜中の時に向こうが朝で、夜勤がある。3日夜勤して1~2日休んでみたいなのがキツかったのと、責任がすごく重くて疲れてしまいました。癒されたくなった。どうせなら夫の実家にしよう、ということで鶴岡になりました。
―鶴岡に来て最初はどんな風に仕事を探しましたか?
移住してからも宇宙関係のことをやりたいと思っていました。今も人類が火星に移住する計画がありますが、私は火星でやれる農業を学びたいと思って。まずは就農を目指して市役所に行ったら、「火星で農業…?は?」って空気だったので就農は諦めて…。笑 その後、紹介してもらった八百屋さんでバイトをしていたら、慶応先端研究所で働いている人と知り合って、人を募集していたので働いたという感じですね。
あと、移住する前から前略つるおか住みマス。を見ていて、鶴岡ナリワイプロジェクトの『小さな起業をしよう』というのを見つけて移住後にプロジェクトに参加しました。そこでお友達ができたりして。今はナリワイプロジェクトから派生したナリワイアライアンスという団体に参加して活動しています。
―鶴岡でも宇宙に関わる活動をされていると伺いましたが、どんな活動をされていますか?
キャリア教育の枠組みで、学校でお話をさせて貰ったり、コミュニティーセンターで地域の人に宇宙の話をしたり。ヤマガタデザインが運営するスイデンテラスの隣にあるキッズドームSORAIでは宇宙服やペットボトルロケットを作るワークショップをやりましたね。最近だと、地域の人に協力してもらいながら廃校になった小学校ではやぶさの実物大模型を展示しました。
―移住して生活面で驚いたことはありますか?
最初は夫の実家に暮らしていました。鶴岡の中でも海側で、限界集落のようなところ。50世帯くらいしかなくて古い慣習がいっぱいあっていちいち驚いたのと、冬の風が凄くてビックリしました。鶴岡は風と雨と雪が同時に吹いて、縦ではなく、横からくる。最初の冬を経験するとビックリするかも。海も、テレビでしか観たことがないような波の花が飛んでくる。あれがプランクトンの死骸で臭いんですよね。だから家の窓を拭かなければいけないとか。生きるためにしなければいけないことがすごく多いです。東京だとボーっとして生きていられるけど、こっちだとそうはいかない。
―吹雪の日は外出しずらいですが、外に出られないのはストレスにならない?
慶応先端研で働いていた頃は路面がアイスバーン状態なのに通勤で命を懸けていかなければいけないというのが嫌でした。
―鶴岡に暮らして良かったなと思うところは?
都会より空が綺麗ですよね。東京だとオリオン座くらいしか見えない…。あと、雨上がりの匂いが東京は臭いけど、こっちはすごくいい匂い。来てもらえると共感してもらえるかなぁと思います。水も空気も美味しいし、食べ物は上げたらきりがない。季節ごとに納豆汁とか、ラフランスとか。季節を感じられる。自然も最高ですね。うちの近所にある大きな池に白鳥が越冬で来るんですよね。飛んでいる姿が圧巻!
あと、人の距離が近いのが好き。知らない人でも一人挟むと大体「あ~、その人知ってる。」ってなるくらい狭い。そのおかげでみなさん良くしてくれるというのがあるのかなと。
青木啓介さん(山形県職員/Sukedachi Creative 庄内)のお話
◎プロフィール
庄内町出身、鶴岡市在住。普段は山形県職員として勤める傍ら、地域づくり活動の伴走支援などを行う。2児のパパであり、子育てコミュニティーにも積極的に関わり、発信している。
―どうして庄内に住み続けているのですか?
僕は鶴岡のとなりにある庄内町の出身ですが、大学進学を機に山形市に住みました。卒業後は山形県庁に勤め、しばらくは山形市に暮らしていたのでそこで生活する選択肢もありました。ただ、田舎出身で長男だったので実家に帰らなきゃいけない、というのが20年前くらいはまだあって…。「そういうもんかな。」って感じで帰ってきました。ただ東京に行ってこういう仕事したい、と言うのは特になかったです。
昔は実家が町工場を経営していて、景気良かった時は30人くらい従業員を雇っていたのですが、景気が悪くなるとまるでダメ。最終的には夫婦2人になってしまいました。そういう教訓からか「自営業は不安定だから公務員なりなさい。」と言われていて、なんとなく聞き流していたけど大学卒業した時になりたいものがなかったので公務員になりました。
ただ、大学時代も就職してからも休みで実家に帰ると小中高時代の仲間とキャンプしたり、海で素潜りしたり、砂浜でサッカーしたり、芋煮会したり…。帰るたびに楽しくて。知り合いもたくさんいるし、地元に帰ると楽しそうだなって何となく思っていました。きっと、東京とかでテーマパークとか沢山お店がある楽しさはあるだろうけど、ないならないで自分たちで作る遊びがあるなって。遊びの面ではずっと満足していますね。
―鶴岡で、自分で仕事を創ってみたいけど、安定を考えると定職についたほうがいいのかなってモヤモヤしています。
ハローワークの求人だけをみると職種が少なく感じるかもしれないけど、ハローワーク以外の仕事をみると多様性はあると思います。割と最近までは春から秋は農作業をして、冬にはわら細工作ったり出稼ぎいったり、といった季節によって仕事が変わる暮らしが当たり前でした。スケダチの麻都香さんや田口くんは自分で仕事を創りながら雇われ仕事もしたり、季節によって仕事が変わったり。幾つかの仕事を掛け持つような働き方をしています。
―鶴岡の子育て環境はどうですか?
二人の娘がいて、バーベキューをしたり海で遊んだりします。子育て環境って意味でいうと自然で遊ぶには鶴岡は良いなと思う。子供もスマホを見るし、「イオンモールに行こう。」っていうとあまり反応しないけど、「キャンプにいこう。」ってなると喜んでくれる。
僕は庄内で『パパの子育てを考える会』みたいなのをやっていて地方の子育て環境についていろいろ考えるのですが、山形県は夫婦共働きが多いので以前は家事育児の面でも母が近くに住んでいると助かるなと思っていました。でも、調べてみると働く年齢が伸びているし、母親も働いているし、子供が病気になると母親だけには頼れない。ただ、夫の家事育児参加率は低い現状があって、女性への負担の偏りが現実にあると思う。地方だからって子育て負担が少ないとか母に協力してもらえるかどうかっていうのはハッキリとは言えないところなのかなと…。
―地域の人との関係性はどんな感じですか?
地元の集落は100軒くらいあって、隣近所の家族構成とか仕事はわかるし、近所の父ちゃんと呑むこともあるし、人間関係は濃いですね。現在は鶴岡市街地に住んでいますが、こっちは人付き合いが少なく感じます。どっちが良いか悪いかではなく、どっちが住みやすいかってことですかね。
あと、春になると山菜や孟宗、夏はだだちゃ豆、秋は庄内柿を近所からもらったりしていました。買わずとも旬なものが自動で家にあるって感じで。こちらもお返しでおすそ分けしますが。食文化も地域ごとに多様なので、芋煮ひとつとってもこっちの地域では白菜いれるとか、山菜はこんな食べ方するとか。いろんな地域で話を聞いてみると面白いかもしれないですね。
<編集後記>
三者三様の働き方、鶴岡暮らしでありながら、自然環境や食、冬の厳しさといった面では、非言語で通じ合うものがあったように思います。方々で田舎暮らし論が語られる中、櫻井さんの話の中で『都会は便利、田舎は不便』というキーワードが出てきました。それは間違いないけれど、不便を楽しめるかどうかと櫻井さんは言う。頭の中で考えると「誰が好き好んで不便にするかっ!」ってツッコミをいれたくなるかもしれませんが、僕も不便な僻地に住む端くれとしましては、マサカリで薪を割らずにはいられなかったりします。やや腰を痛めながらですが…笑 そういうことは仕事と生活の中で随所にあって、佐藤涼子さんの言う『海辺の家の窓ふき』もそうですし、雪かきもそう。日々の営みの中に不便な物も混じっている。とはいえ長年そこに暮らす地域の人は「容易でねぇの~。」なんて言いながらも草刈りをして、綺麗になった庭を眺めながら美味しそうにお茶を飲んでいる。そういう姿を見ていると、不便に手をかけることで喜びを感じられるのかもしれません。春先に咲くフキノトウを見て、「バンザーイ!」と歓喜を上げる櫻井さんのように。自然に逆らわず、身の回りの資源を活かした生活へと自分を溶かしていくのも地方暮らしを楽しくさせる一つの要素なのかもしれませんね。
さて、次回は第三回オンラインイベントが2022年1月29日に開催されます。再び鶴岡のゲストを3名ほどお招きして鶴岡の仕事事情や暮らしなどなど話を伺っていこうと思います。まだまだ参加申込みを受け付けていますので、ご興味ある方はぜひお申込みくださいませ!
申し込みはわたしの移住作戦会議。からお願い致します。
せば、またの。
Sukedachi Creative 庄内 田口比呂貴
Comments