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執筆者の写真スケダチ

【イベントレポート】わたしの移住作戦会議。第二回オンラインイベントを開催。鶴岡ゲスト3人のお話を伺いました。<前編>


こんにちは。Sukedachi Creative 庄内の田口です。


鶴岡市の移住ページ、前略つるおか住みマス。にも以前からページを載せて貰っていたわたしの移住作戦会議。の第2回目オンラインイベントも、みなさんと楽しい時間を過ごして終わることができました。


このイベントは、オンライン全4回、フィールドワーク1回の企画で、地方移住をぼんやり考えている方や、鶴岡に興味がある方々に向けた対話型の移住イベントです。

鶴岡についての情報提供したりゲストを招いてお話してもらいつつ、参加者×鶴岡住民がお互い知り合うこと、接点を持つことに重きを置いているので、フィールドワークの場所やゲストも参加者の様子を見ながら決めているのが特徴です。


第一回目のオンラインイベントレポートはこちら

つるおかフィールドワークのイベントレポートはこちら


第二回目オンラインイベントは鶴岡市在住の櫻井田絵子さん、佐藤涼子さん、青木啓介さんをゲストにお迎えして、グループに分かれてワールドカフェ方式でそれぞれゲストのお話を伺いました。「どうして鶴岡に移住したのか」「都会と比べて鶴岡の暮らしをどう感じているか」「普段はどんな活動をしているか」「地域の方々との関係性」「鶴岡暮らしの面白さ・厳しさ」などなどグループごとにいろんな話題が出つつも、みなさん鶴岡・庄内が好きなことがにじみ出ていました。ということで、ゲストの話を中心にまとめてみましたのでよかったら見てみて下さいませ。




櫻井田絵子さん(コワーキングキッチン 花蓮Karen 主宰)のお話



◎プロフィール

鶴岡市出身。進学就職をキッカケに40年ほど東京で過ごし、2016年に鶴岡へUターン。コワーキングキッチン花蓮を開き、料理教室や食のイベントなどを目的にレンタルしたり、リトリート体験を提供している。


―どうして鶴岡にUターンしたのですか?

元々は鶴岡出身ですが、上京して製薬会社に長く勤めていました。ですが、東日本大震災でアスファルトの上が揺れている時、生まれ育った風景がかすんで…。「帰らなきゃ!」と、魂が呼んでいるような気持ちになりました。けれど、そこから会社を辞めるまで5年掛かって。東京では会社の名刺1枚あれば仕事ができる。だからこそひとりで生きるのが怖かったです。東京の友達と話をしていても、暮らしを鶴岡で成り立たせるのは正直怖かった。日々の生活に飽きてしまうのではないかとか、お金は東京より掛からないけど、侘しくならないだろうかとか…。『自分がどう生きたいのか』ということを悶々と考えていました。でも、お金の備蓄と、帰りたくて帰るんだっていう開き直りと、「この場所が好き!」と言う景色が何か所かある。自分が岐路にたったときは初心に帰ろう、ということで覚悟を決めて帰ってきました。


―鶴岡に暮らし始めて、暮らしぶりに変化はありましたか?

最初は住むところを準備し始めました。その時は、家の改修などで会社員の時とは比較にならないくらいお金がドンドンとなくなってしまい、「これからは慎ましく暮らさなきゃ。」ってモードになった。

でも、それが慎ましくというよりは、東京にいた頃は会社に着ていく服をたくさん買ってた。自分が着たい服というよりカッコ悪くならないようにって。でも、こっちに来てからは好きな服だけを着るようになった。食べるものに関しても、東京では満員電車にゆられて残業してヘトヘトで、デパ地下やコンビニで買ったり、週に2~3回は友達と呑みに行ったり。それが早いし無駄がない。そういうお金の使い方をしていたけれど、このままでは健康を害すると思いました。今は、友達の農家から新鮮な野菜を貰ったり、ありもので鍋をつついたり。それが美味しいんですよね。「あ、こんなふうに食事が美味しいんだ。」っていう感覚を得ました。


―東京と鶴岡、改めて比較するとどんな違いがありましたか?

どっちが良いというよりか、いろんな選択ができる時代なんだと実感しています。私は昔の働き方には戻りたくない。東京の暮らしは不便を少なくする暮らし。コンビニと言う言葉に代表されているように便利。一方で、鶴岡には不便がいっぱいあるが、不便が楽しいという感じ。ちょっと出かけるにも車を走らせるけど、車を止めて夕日をぼんやり眺めてみたり。冬になると薪の準備とか段取りがあって田舎暮らしも大変ではあるけど、そういうのを楽しめるタイプだと思ったら、地方の暮らし良いと思う。


―どうしてキッチン付きのレンタルスペースをやるようになったのですか?

単身で戻ってきたというのもあって、知り合いを増やしながらコミュニティーとしてなにか役に立つことができるか、といろいろ考えました。東京では社員教育とか外国人の採用など人事の仕事をしていたので鶴岡にドンピシャの仕事がなかったというのもあって。こっちでゆったりと人と人を繋げたり、仲間を増やしていく中に自分も一緒に入れてもらいながら、楽しいけどみんなが夢を語っていて、話しているうちにみんな応援し合っている、というコミュニティーづくりの一端にいたいと思ったもんですから。だから台所があればなんとかなる、みたいな感じで。食べることがあれば理由なく集まれるんじゃないかなって。それから、イベントやりたい人がいたら少し手伝うことでみんながやりたいことが見えてきたり。そんな場所があればいいな、と思ったんですよね。漠然としていたけど、帰ればなんとかなる、なんとかしちゃおうって勢いで帰ってきましたけど、50代半ばのことでした。


―レンタルスペースをどんな方が利用していますか?

利用者数が多いわけではないですが、ご近所さんにギターの上手な人がいて、定期的に演奏会をしているそうなのですが、そこでは演奏して拍手して終わりだったそうです。で、その方のお客さんを花蓮に連れてきて、会費千円で集まれば煮込んできたおでんや場所代になって、みんなでおでんパーティーをしながら演奏を聴くと。「みんながゆったりしながら温かいモノを食べながら演奏を聴いてもらえるのが良いね。」っていう人がいて。

あと、都会から私の友達が来て、晩御飯の時にいろんな人に声を掛けておくと、「都会の人がくるんだ。」って面白がって遊びにきてくれる人がいる。みんな誰かと話がしたいんじゃないかな。その人がほんとに来るかどうかもわからないけど、最近その辺がゆるくなった。笑 東京にいた時は綿密に計画を立てていたけど、今は来てもいいし来なくてもいいし、みたいな。東京の友達と鶴岡の友達が喋っているっていうのを見てニヤニヤしています。


―鶴岡の冬は厳しい?

雪だけじゃなくて風と雨。横から吹いてきますから。運転中にホワイトアウトって文字通り真っ白になって、車の中で叫んだ記憶がある。前の車のテールランプだけを頼りに運転する。鶴岡は風雪注意報がバンバン出るような日々ですし、そういうのをほかの地域で比べると「どうなんですかー!」って思うよね。でもね、バレンタインの日にフキノトウが顔を出していて、「バンザーイ!!」っていうくらい嬉しかった。雪が降っていてもスキップ気分よ。耐えなきゃいけないのは冬至からバレンタインまでの2か月くらいなんだなって。だから、どんがら汁(寒鱈汁)が美味しかったり、熱燗が美味しかったり。そういう楽しみを見つけつつ、春になるとみんなの顔つきが違うんですよ。冬は大変ですが、喜びもおっきくなる。大変だけど一緒に鍋を囲む友達がいると楽しめる。


―鶴岡のおススメポイントはありますか?

鶴岡というのを越えて、庄内全域が大好き。酒田と遊佐とか。それぞれ違う気風というか。鶴岡はモノゴトを深く重く考える、酒田は新しいモノをパッと掴みとる気風のように感じます。山居倉庫の酒田とか、丸池様という遊佐にある池。エメラルド色なんです。池そのものがご神体と言われていて、すごくご利益を受け取れるんじゃないかなって。湯殿山に登った人には即身仏巡りをおススメしています。山岳信仰で修行している、その人たちの人生最後の修行として自分の身体を人々のために捧げるという場所も、感じられるものがあると思います。


後編へ続く。

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