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執筆者の写真スケダチ

【わたしの移住作戦会議。第三回オンラインイベント レポート②】移住時の仕事探しはハローワークもおススメ。佐藤高彦さんのお話

ゲスト:佐藤高彦さん(左上)×聞き手 田口比呂貴(中央上)

◎佐藤高彦さんプロフィール

鶴岡市加茂地区出身。東京の建設会社に約10年間勤務。2015年にUターンを決意し2016年4月に鶴岡へUターン。医療法人でフルタイムの仕事に従事する傍ら、様々な地域活動を行っている。


―自己紹介をお願いします。

39歳です。高校を卒業するまで18年間実家の油戸という海側の地域にいて、その後、東京で建設会社の総務経理を10年くらいしていました。鶴岡を出てからは札幌、埼玉、東京板橋区、茨城県つくば市を転々として、鶴岡に帰ってきてからは医療法人の事務をやっています。その他に個人参加型フットサルCO-SAL@庄内の主催者やRUN伴(認知症の啓蒙イベント)、Hisu花(藤島イルミネーション)の実行委員、ダイアログin庄内、一般社団法人大好きな加茂の理事、内川リバーサイドマルシェ実行委員をやっています。


―どうして就職で上京したのですか?

中学生頃から、高校を卒業したら県外へ出るものだと思っていました。当時は、鶴岡に仕事がないと思っていました。長男で弟がいますが稼業もないので家を継ぐって感覚はありませんでした。


―鶴岡へ帰るキッカケは何だったのですか?

2011年の東日本大震災で自分の価値観が変わったことが一番大きかったです。「このまま東京に暮らしていていいものか。」ってその時初めて思いました。よく考えたら自分を東京に縛っていたのがその会社だけだったし、それもやりたい仕事というか、やらなければいけない仕事ではないなってことに気づきました。震災の日、会社に一泊したのですが、翌朝に帰宅する時の満員電車のマイナスオーラが凄くて。同じようなことがまた起こったらどうなるだろう…って考えるキッカケになりました。

Uターンした理由には、子育てを考え始めたのもありましたね。妻はJAXAの仕事で夜勤もあるし、僕も仕事で帰るのが遅くなったり。同じ家に住んでいてもすれ違う生活をしていました。これ、子供が出来たらどうなるんだろうって。


―思い描いた生活環境は鶴岡で叶いましたか?

今は定時で帰れるし、酒田なので1時間くらい掛かるけど6時半くらいには帰ってきて、子供とも遊ぶことができるし、平日仕事・通勤があっても体力的・精神的に余力があり色んな活動をする気力もあります。生活に余裕があるのがうれしいし楽しいですね。


-鶴岡で子育てしていて将来的に不安なことはないですか?

子供の選択肢ではそうでもないかな。自分が子供の時は情報もなくて何も知らなかったけど、今なら情報はいろいろ得られるので。今は不安はないですね。


―仕事以外にいろんな活動されているのですけど、キッカケはどんな風でしたか?どうしてやろうと思った?

Uターンした時は具体的に何かしたいって言うのはなかったけど、18歳までは鶴岡に物足りない思いをしていたことを解消しようと、地域に貢献したいという気持ちがありました。戻ってからは、妻がナリワイプロジェクトの講座を受けて、宇宙を知ってもらうイベントを率先して地域でやり始めて、

それを脇で見ていて「自分も何かしたいな。」とさらに思うようになりました。元々いろんなイベントや勉強会等に参加していて、いろんな人と繋がりは徐々にできていました。初対面でも割と溶け込めるタイプで、そういう性格もあったと思うんですよね。段々と自分がやりたいことが見えてきたって感じですかね。最初はフットサルを始めました。関東に住んいでる頃からやってたんですけど、こっちにはチーム内などで内々でやっているのしかなくて、自分たちは個人で参加できる「個人参加型」をうたい意外に順調に人が集まっていきました。 個人参加型フットサル『CO-SAL@庄内』


―ナリワイプロジェクトの活動ってどんな活動ですか?

自分の得意なことを地域に役立てて、月3万円稼ごうって。それを幾つかやれば、生活の足しになるよねって。女性が多いですね。50人くらいは卒業生がいるのかも。


―仕事以外の活動を通じて、高校生の時に見えなかった鶴岡の良さ、好きなところはありますか?

余裕がある生活をしているから運転中でも海とか山とかキレイだなってふと思うこともあるし、人に関していえば、知り合った人の知り合いはすぐ繋がれるっていうのがあるので、そういうのが良いところだなって思います。様々な活動をしていて思うのですが何をやるにも人とお金の問題があって、ただ「やりたい」と言えば協力してくれる人がすぐ出てくる環境だなと思います。今後はやりたい人同士のマッチングをうまくやりたいと思います。そうすればもっと活発な地域になると思うんですよね。


―高彦さんの活動で、このイベントは入って行きやすいというのはありますか?

Hisu花ワークショップはおススメです。藤島庁舎が事務局とし全面的にバックアップしてくれ、鶴岡市の事業なので予算もあるし実行委員として結構自由に自分のアイデアややりたいことを反映できる。現在実行委員は色んな職業・年代の人が20人超もいて年々に増えていってますね。

―Uターンで帰って来るとき、仕事はどうやって探しましたか?

仕事にはこだわりがないほうで、事務でやってきたのでハローワークで探しました。移住を決めたのが2015年で、その頃にハローワークで求人探して移住する前にうまく自分やりたい仕事が見つかりました。待遇面はあまり気にしなかったですね。


―待遇で、どのくらいの給料を貰わないとダメだなっていうのもなかった?

あんまりなかったかな。手取りで月20万くらいあればいいかなって。2人で働けばすぐいく金額かなって。東京の給与水準を求めるのは難しいので、「どれだけ稼ぐ」というよりは「最低限これだけあれば生活できる」という考えにシフトしました。


<仕事の探し方>

―鶴岡で仕事を探すときにハローワークは良い選択肢ですか?

民間の人材紹介会社はかえって難しいのでは…って思っています。中間マージンが大きくてその辺を無駄と感じる会社さんもあるのかなって。看護師とか専門職の人材紹介は別かもしれませんが、一般職種だと個人的な繋がりで仕事をみつけるってよくあるので。

ただ、仕事のマッチングも大変というか。理想として見える会社と実際働いてみる会社と…ってギャップが難しくて。僕もこっちに帰ってきてから今で3社目なんですけど。どうにかならないのかなって思う。インターンみたいな制度があればいいと思います。


<鶴岡市移住コーディネーター畠山さんへの質問>

―ハローワークだと事務系が少ないと聞いたことがありますが、実際はいかがでしょう?

畠山さん:ないこともないですよ。タイミングで。欠員だったりで求人が出たりする。


―ハローワークで探しやすい求人ってありますか?

畠山さん:酒田市と比べると職種のバリュエーションが少なめですかね。今までやってきたことがどれだけマッチングするのかがポイント。あとはギャップとして、給料は首都圏と同じくらいだろうと思ってバッと来ちゃう人がいて。建設業だとそうでもないのですが、それ以外だとギャップがある。移住する前に決めるか、移住する前に探すことをお勧めしますね。


―それと、求人が出てなくても直談判すると案外会ってくれたり、雇ってくれたりするかもしれないですよね。

参加者:飲食店ってなると直接いったほうがいいですよね。お店を回って気に行ったところがあったら見学させてもらって。とりあえず私は直談判スタイルが良いと思います。それと、ハローワークを併用しようかな。


<働き方事情>

畠山さん:民間企業だと土曜日1日出勤とか、産業によっては完全週休2日って少ないかも。農家さんの求人だと90日とか、少なめなところがある。


参加者:ソニーやTDKなどの大手企業や銀行、行政関係は完全週休2日ですが、奥さんの親戚が勤めている会社は週1日とか、日曜+土曜日が数日という感じだそうです。サービス業だとそんなところがあるかもしれないですね。


―40~50代だと首都圏の給与の半分とかそれ以下になるかもしれないけど、5時で仕事が終わるとか身の回りの自然環境が魅力という移住者もいるみたいですが…。

高彦さん:仕事は5時で終わるし通勤時間も1時間で自家用車だし満員電車のストレスもない。余裕があるというところが大きいのかな。仕事以外でも活動する気力もある。お金じゃない価値がこっちにはあると思います。


<光熱費事情>

参加者:2月から実際に鶴岡でアパートを借りて生活するのですけど光熱費が心配で…。実際どんなくらいかかりますか?

上下水道と電気はそれぞれ5,000円/月くらい。ガスは3000円、灯油は5,000円くらいで、ガソリン代は、うちは車が2台あるので1万弱かな。

スタッフ:うちは水道が6~7000円。灯油は2週間に1回くらい18Lがなくなる程度で月6000円くらいかな。


<移住者の経験談>

―移住したキッカケはなんですか?

仕事をリタイアして横浜から鶴岡にきました。リタイアの前から横浜を脱出したいと思っていました。鶴岡の妻の実家には以前から来ていたので、鶴岡以外の土地を選択することは考えなかったですね。

移住当初、プロジェクトをやっているうちに知り合いが出来ていきました。その時に役に立ったのはFacebookでした。鶴岡に来てから必要に迫られてFacebookを始めたのですが、それでいろんなところにいろんなことをやっている人がいるなって知って。今は居酒屋のレポーターとしてYoutubeで配信したりしています。あと鶴岡の大山に住んでいるんですけど、地元の人に声かけられて大山の文化財を愛する会っていうのに入っています。なんでかわからないけど役員も頼まれてやっていたり。そういう形で活動が広がっています。働いている人は仕事を通じて出来ていくんでしょうけど、僕の場合は完全にリタイアしてからだったので、繋がりは自分でどんどん広げていった。


―横浜を脱出したい理由は何だったのですか?

仕事があるから横浜にいましたが、「この先ずっと住んでていいのかな。」って思っていました。気候問題とか災害問題とかに大都会はものすごく弱くて、少し台風がくるとタワーマンションが浸水して動けなくなってしまう。コロナの状況を考えると人が多いということだけでリスクが高い。鶴岡も感染者はいますが、こっちのほうが安心できますよ。

鶴岡が良くて移ったというより首都圏に住んでいるとダメだって思いました。

それと通勤時間について、鶴岡にお住まいの方々は恐らく30分以内がほとんどじゃないかな。30分あるとかなり広範囲に行けるので、必要なものは大体揃ってしまう。横浜だと30分以内で間に合うことが意外となくて。バスや電車乗り継いだりして1時間以上かかる。そう思うと鶴岡の暮らしは便利ですよね。これは盲点になっているんじゃないかなって。




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