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【わたしの移住作戦会議。第三回オンラインイベント レポート①】鶴岡は若手がチャレンジしやすい地域。栗原智広さんのお話



こんにちは。Sukedachi Creative 庄内の田口です。


鶴岡市の移住促進サイト『前略つるおか住みマス。』にも以前から掲載されているわたしの移住作戦会議。の第三回目オンラインイベントも、みなさんと楽しい時間を過ごして終わることができました。

このイベントは、オンライン全4回、フィールドワーク1回の企画で、地方移住をぼんやり考えている方や、鶴岡に興味がある方々に向けた対話型の移住イベントです。

鶴岡についての情報提供したりゲストを招いてお話してもらいつつ、参加者×鶴岡住民がお互い知り合うこと、接点を持つことに重きを置いているので、フィールドワークの場所やゲストも参加者の様子を見ながら決めているのが特徴です。


<過去のイベントレポート>





第三回目オンラインイベントは鶴岡市在住の栗原智広さん、瀬尾恵美さん、佐藤高彦さんをゲストにお迎えして、グループに分かれてワールドカフェ方式でお話を伺いました。「どうして鶴岡に移住したのか」「普段はどんな活動をしているか」「鶴岡でどうやって仕事を探したか。」「子育て環境」などの話で盛り上がりつつ、節々に鶴岡・庄内が好きなことがにじみ出ていました。この記事ではゲストのお話を中心にまとめてみましたので、ぜひ読んでみて下さい。


ゲスト:栗原智広さん(右上)×聞き手:青木啓介さん(中央上)

◎栗原智広さんプロフィール

新潟県新発田市出身。大学時代は神奈川県で過ごし、薬剤師国家資格取得。東証1部上場企業の会社員として大手調剤薬局の薬剤師勤務。13年間で山形県内を転々としたのちに、鶴岡市の魅力に惹かれて定住を決意。大手企業の薬剤師を卒業て、経験を活かして新たなことにも挑戦中。現在は調剤薬局薬剤師、鶴岡南高等学校学校薬剤師、鶴岡市の業務委託など公的なものから、個人と契約したパーソナルヘルスケアサポートを実施している。



―普段はどんなお仕事、活動をされていますか?

新潟出身ですが小学校の途中から米沢市で育ち、高校卒業後は神奈川で大学時代を過ごしました。その後、全国展開しているチェーン薬局に就職して山形県内をグルグル転勤しながら働いて、最終的に鶴岡がいいなと思い、鶴岡に住むためにチェーン薬局を退職して、家から通勤できる薬局に転職しました。現在は鶴岡から車で1時間くらいにある戸沢村の薬局に勤めていて、処方箋を調剤しています。

そのほか、鶴岡市から2種類の業務委託を受けていたり、県立高校の学校薬剤師を2校やっていたり、社会福祉協議会からの依頼でアドバイザーをやっていたり。来年度からは東北厚生局の非常勤職員として、薬局に対する保険指導薬剤師としても働くことができそうです。給与をもらう仕事の他にも地域に貢献する活動として、高校生と一緒にエスモールで健康フェアをやったりもしました。

どうして戸沢村に通っているかと言うと、未来の鶴岡市を今経験できると思ったからです。日本の高齢化率は約30%(29%)となっていますが、鶴岡市は現在35%。10年後20年後には40%になると言われています。一方で、戸沢村は現在既に40%を越えています。私が今39歳なので、50〜55歳でも現役薬剤師として働くためには今、戸沢村で今、働くことで、その経験は将来の鶴岡市に役立つだろうと思って通っています。


―どうして薬局以外の活動をやっているのですか?

処方箋によってもらう薬は7~10割を税金で賄っていますが、いつまで健康保険が続くかわからないし、保険が破綻して海外のように混合診療や自費診療となり医療難民が増えるかもしれません。リスク分散という観点で健康保険に依存した薬局のみに頼らず、個人として地域で稼げるか実験したかったのも転職の理由の一つですね。薬局の仕事と比較すると微々たるものですが、薬局に依存しなくても、個人の仕事としても僅かですが報酬を頂くことができるようになりました。

それと、薬局で待っているだけだと医療者以外の方とフラットな情報交換が難しい…。自分から出向いてハードルを下げることで鶴岡市に住んでいる方とフラットに話ができるし、どんなことに困っているのかも知れる。自分のことも覚えて貰えたりするメリットもあります。


―高齢化が進んでいる戸沢村と鶴岡市との違いを感じる部分はありますか?

高齢者の独居世帯や、二人暮らしでも買い物に行けないとか、雪の除雪がなされず家を出れず、引きこもるしかないというのが鶴岡の山間部にもあると思いますが、戸沢村も同様でより顕著です。戸沢村は意外と面積が広いのですが、お医者さんは1人だけです。歯医者さんに至ってはなくて、ホームセンターとスーパーが1軒ずつ、コンビニ2軒。移動の足がない高齢者が住むのは大変だろうなと思います。

薬剤師としてやることは、鶴岡市でも戸沢村でも東京でも変わらないのですが、自宅訪問して薬を持って説明したり、薬の管理するのは鶴岡より戸沢のほうが圧倒的に多いですね。サービス資源が少ない状況なので、人口割合がそうなれば鶴岡でも起こることだと思います。そんな高齢化未来の対策として、若者が集まるように若者が盛り上がることとか、既存のサービス資源が減っていく中、新しいサービスを作るとかできるといいなと思います。


―栗原さんの周りの薬剤師さんで副業したり地域活動している人はいますか? ボランティアでやっている人はいますが、保険に依存した薬局以外で稼ごうというのは、あまり聞いたことがないですね。


-そもそもどうして大企業を辞めて地域薬局に勤めよう、鶴岡に住もうと思ったのですか?

山形県内では酒田、寒河江、米沢、遊佐に住んでいましたが、仕事をしている中で感じたのはどこの地域よりも鶴岡は分け隔てなかったといいますか…。地域でありがちな『ベテランがその座を譲らない』というのが鶴岡はなくて、むしろ若手に表舞台へ立たせてくれる。経験したことを実際やってみなよというスタンスが多いように感じます。他地域より仕事をしていく期待感が強くて持てました。実際に働いてみたら色々な活動をさせてもらえるようになり、仕事上の魅力がありますね。例えば、忘年会や新年会などでは薬剤師会の会長や副会長が真っ先にお酌して席を回る。医師会の先生なんかでもそう。トップの人たちが自ら席を立ち挨拶回りをされますね。若手にとってチャレンジしやすい地域なんだなと思いました。

それと、大企業で出世する願望がなかったのも大きかったです。薬剤師はいろんな医者の処方を受けた方が勉強になるんですよね。その意味で大企業だといろんな治療方法を学べました。一方で、ある程度経験して自分のやりたいことを実践したいと思った時に、大きな組織だとかえって足かせになることもあるので、大企業の良いところをもらったので、これからはその経験を実践する場を鶴岡で、という感じですかね。


―どんなことが足かせになってしまったのですか?

大企業から逃げるように辞めたわけではなくて…。薬剤師の社員が3000人以上いて、その中で社長賞を貰ったりもしていたのですが、その2年後に辞めちゃいました。いろんな取り組みは、最初は評価されていなかったのでプライベートで活動をしていました。それが評価されて社長賞として表彰されたのですが、そうなるとその後は薬剤師として大切だと考えていることをやることよりも、会社の意向をくみ取った活動となってしまって…。『薬剤師ってこういうことしなきゃいけないよね』って思ったことが、さらに発展して健康保険以外のサービスに手を出したくなったのですが、前の会社だと副業規定で引っ掛かってしまう。そうなると会社に迷惑がかかるので…。地域の小さく動けるところに就職したいと思いました。


―高校生との『健康フェア』はどうしてやろうと思った?

県内に薬学部がなくて、高校生の進学先は仙台とか東京とかになります。実際そこで6年間過ごすと鶴岡に戻ってくると言うのは難しいんじゃないかなって思う。そうなると地域の薬剤師は増えないし、若手がいないと盛り上がって行かないと思います。現役の薬剤師が高校生と一緒に活動することで高校生が戻って来るキッカケになればいいなって。

僕が鶴岡で働いていた時の薬局の近くには鶴岡北高校があって、そこの総合学習の授業で医療系に興味ある20人で健康教室のイベントをやりました。とはいえ県立高校に一人で乗り込んでいくのは難しいので、スケダチであり県職員の青木さんにお願いして、一緒に行ってもらって実現しました。その学生の中で2人薬学部に進んだみたいですね。社会人になると理想と現実のギャップにぶつかると思うんですが、そんな時に「鶴岡で働いていた薬剤師が楽しそうだったなー。」って思い出してくれて鶴岡に戻ってきてくれると嬉しいですね。


―高校生と関わるのはどうでしたか?

難しかったですね。私も高校生慣れをしてなくて距離感がわからなかったです。どこまでの熱量でいっていいのかとか、高校生もどこまで話を踏み込んでいいのかって感じていたと思います。振り返るとほぐす時間が足りなかったかなと思います。最近、鶴岡市には学生や社会人などが集まれるサードプレイスができていますが、そういうサードプレイスに活動で参加する高校生は中々いないんですよね。(私が出会えていないだけかもしれません。)大人と接する機会が増えてくればいろんな活動に繋がっていくだろうなって思いました。


―鶴岡で生活していて不便に感じることは?

特にないです。元々買い物にガンガン出るタイプでなく、都会のお店に行く願望はあまりない。強いて言うなら人と人との付き合いが身近で、誘われた時に断りにくいっていうのがあるかも。あえて無理やり出すとするなら…ですが。笑


―移住にあたって不安はありましたか?どうやって知り合いを作っていきました?

もともと転勤が多かったので新しい土地には割と慣れるのは早い方だと思います。知り合った人全員から受け入れて貰えなくても、仲良い人が1人いると生きていけると思うんですよね。友達100人いても一緒にいる仲の良い人は結局1~2人のタイプですよね。スケダチの青木さんとは何回か呑んでいたり、定期的に連絡とったり。そういう気の合う人が地域にできると過ごしやすいなと思う。移住者交流会に参加される方とかは色んな事にアンテナ張っている人が出てくると思うので、そういうのが好きな人なら気の合う人と出会うのにはいいと思います。


―子育て環境も移住のキッカケの一つですか?

そうですね。小学校3年生と幼稚園の年長の子供がいます。妻の実家が鶴岡にあるのは大きいです。仕事や家計はなんとかなるけど、妻の漠然とした不安に対してのフォローを考えた時に、妻の親や友達が近くにいたほうが妻にとって生活がしやすいんじゃないかなって考えています。新潟の自分の親に話をしたら、「自分(長男)が住むところに拘ってない。」って言われたので、思い切って鶴岡に住むことを決めました。




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